STUDIO F+製作の自主映画
香港來的Diana(香港から来たダイアナ)
ネパールの映画祭とフランスの映画祭から
ファイナリスト(最終候補)の受賞証が
届きました
まずはネパールの映画祭
Humro Cinema Film Fest
続いてフランスの映画祭
Clown International Film
Festival
出演者の皆さま
作曲家のIce9さん
エキストラの皆さん
ロケにご協力頂いた店舗の方
本当にご協力ありがとうございました!
引き続き
香港來的Diana(香港から来たダイアナ)
は海外の映画祭に出品していますので
結果が分かり次第、またブログにて
告知させていただきます
さて話は変わって
日本大学芸術学研究科博士後期課程も
私にとって思い出深い大学ですが
私にとって東京の八王子にある
創価大学が母校です
なぜ?創価大学に進学したのか
というと池田大作先生が
創立された大学だったからです
しかし
理想と現実の差は激しく
19歳で初めて一人暮らしを始め
何から何まで大変な毎日
近所に友人がおらず
常に孤独に悩まされた
4年間であり
創価大学の学生生活は
今、思い返しても何ひとつ
楽しかった思い出はありません
法学部で法律をかじったけれど
法律よりも芸術や文学の勉強を
したかったこともあり
大学院修士課程では法律ではなく
国際政治を学んだのですが
これもどうにもしっくりこない
サークルでもやれば自分の好きな
道がわかるだろうと思い
文学研究会に所属したのですが
これもどうも違う
大学院生の頃にようやく
私は「映画」が好きなのだとわかり
映画研究会に入部
しかし
すでに22歳を過ぎていた私は
他の部員からすれば年配者
1年生から入部してカメラや
編集機の操作を先輩から
教えてもらうというパターンが
当てはまらず
カメラはおろか編集機まで
触れないという厳しい現実が・・
諦めの悪い私は
なんとしても大学院生の2年間で
1本の映像作品を作りたいと思い
カメラはダスキンのレンタルで借り
部室にある編集機はスペアキーを
使って深夜にこっそり入って
ひとりで黙々と編集をしました
私が創価大学院生時代に
唯一完成させた作品のタイトルは
「韓国の友人」
これは当時、同じ大学院生だった
韓国の留学生ジョン・ヨンシクさん
を密着したドキュメンタリー作品
この映画の出来栄えはともかく
念願の映像作品を1本だけ創価大学
在学中に作ることができました
振り返ってみると
私にとっての創価大学の4年間と
大学院時代の2年間は
ひとりで生きていくサバイバル技術を
身につけるためにあったものだと
思っています
この6年間があったからこそ
のちの海外生活でもホームシックにも
ならずに生活できたのだと感じてます
随分と鍛えてもらったものです
それと比較しても
自分が勉強したかった「映画」を
徹底的に勉強できた日芸大学院時代は
創価大学の時とは比べもならないくらい
ハードな生活でしたが楽しかったですね
私にとって
池田大作先生の創立した大学の
卒業生だという誇りは今もあります
創大生だった頃は試練と鍛錬の日々で
あったことは間違いありません
ただもう少しだけでも
彼女がいたり、友人がいたりという
楽しい学生生活をおくりたかった
とは思いますが
私が創価大学に進学したのは
池田大作先生の思想、哲学を
世界に広めていく仕事をしたいと
思っていたのだと気がついたのは
大学4年生の頃
いまだに一部の人は
創価大学は「お坊さんになる大学」と
誤った認識をしているようですが
創価大学は普通の4年生大学であり
卒業単位を取得し、就職活動をして
社会人として巣立っていく場所だと
はっきりわかったとき
私は心底、悩みました
社会人としてやりたいことが
見当たらなかったからなんです
映画監督になる方法が
国家試験を受けて合格すれば
なれるような仕事であれば
明確だったでしょうが
映画監督に100%なれる方法なぞ
当時も今もないのが現状であり
映画が好きなだけで
製作者側になれるとは
とても思えず
悩んだ挙句
創価大学の大学院を卒業後
故郷に帰り、アメリカで映画を
勉強することを目標としながら
地元の映画館で映写技師として
働いていくことを選択したのです
さて
創価大学卒業生の有名人と言えば
最近ではお笑い芸人ナイツの二人が
有名です
ナイツの二人は私の後輩にあたります
塙さんとは創大生の時には
名前だけ知り合いから聞いていただけで
実際に会ったことはありません
その後
私が日芸大学院に進学し
練馬区の江古田に住んだときに
たまたま近所に住んでいたのが
あの塙さんだったのでした
出会った頃の塙さんはまだまだ無名で
お兄さんの塙さんの方がCMなどで
活躍していたような時期
塙さんに私は映画製作をしていますと
伝えると
塙さんがニヤリと笑って
「それでは、世界のフジモトさんですね」
と言われました
ある時、私が江古田駅近くの
100ローソンで買い物していたら
店の奥から
「世界のフジモトさん」と
誰かが声をかけてくるので
振り返ったら、塙さんがニヤリと
笑っているのでした
「世界のクロサワ」にもじって
わざと「世界の・・・」と言ってくる
塙さん(笑)
私が江古田から板橋に引っ越しをし
塙さんとはそれっきりになったのですが
5年ほど過ぎた頃
千葉テレビの番組のディレクターを
やっている時に別の番組で
塙さんと再会したことがあります
すでに
ナイツとして有名人になっていた
塙さんでしたが
「あれ?フジモトさん?」と
覚えてくれてました
過去のブログに
その時に2ショットで撮影した
写真を掲載しています
今ではすべて
懐かしい思い出ではあります
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