チリ出身のアレハンドロ・ホドロフスキー監督を描いたドキュメンタリー映画、
ホドロフスキーのDUNE(JODOROWSHY's DUNE)を観ました。
この映画は、映画監督ホドロフスキーがDUNEの映画化を熱望し、絵コンテからキャスティング
まで、ほぼ完璧に作り上げてきたにも関わらず、ハリウッドの壁に阻まれ、
最終的に資金不足で映画化の道が完全に絶たれてしまうという、映画制作の困難さと
映画とは芸術か?という様々な視点で考えさせられるドキュメンタリー映画でした。
もともと、ホドロフスキーは芝居の演出からスタートし、1967年「ファンド・アンド・リス」
1970年「エル・トポ」という問題作を次々と連発して映画監督となった人物。
「エル・トポ」など過去の作品については、観ていただくことにして、
今回のホドロフスキーのDUNEを観た感想としては、これほどまでに一つの小説の映画化を
熱望し、制作に突っ走ったホドロフスキーの狂気が素晴らしい!と思いました。
自ら選別して集めたスタッフをそう呼んでいた)たち、例えば、フランスの漫画家
ダン・オバノンらは、DUNE制作中止後に、他のハリウッド映画に参加し、賞を受賞するなど
輝かしいキャリアを積んでいく。
はたまたあのスペインの芸術家ダリ!とウルトラ豪華な出演陣。
もし、ホドロフスキーのDUNEが完成していたとしたら?
映画中にも批評家、映画監督が出演して述べているが、それまでのSF映画の歴史を
覆す映画になっていたかもしれない。
ルーカスの存在もなかったかもしれないのである。
ご存知のとおり、DUNEの企画はホドロフスキーの手からイタリアのプロデューサー、
ディノ・デ・ラウレンティス(「道」(1954年)「キングコング」(1979年)など)の
手に渡り、デヴィッド・リンチが監督することになる。
1984年に公開されたのがリンチの「DUNE」である。
私が個人的に驚くのは、ホドロフスキーが持つキャスティング能力である。
発掘する前のダイヤの原石のような人材を、次々と見つけていくホドロフスキーは
凄すぎる。
確かな腕を持ちながら、前衛的な作風の映画を作る映画監督というレッテルを貼られてしまい、
ハリウッドという映画を大量生産するスタジオに阻まれ、制作資金が底をついて
制作を断念しないといけなかった、ホドロフスキー。
別の映画監督のドキュメンタリー映画で、ドン・キホーテの映画化に執念を燃やしながら、
最後には呪われた監督と言われてしまう、テリーギリアム監督を思い出しました。
こちらは「ロスト・イン・ラ・マンチャ」という映画なので、ぜひこちらも観て
いただけたらと思います。
映画制作とは壮大なギャンブルである。
それに勝つか?負けるか?で、その後の人生がまるで違う。
ジョージ・ルーカスと比較してはけませんが、ルーカスは勝ち、
ホドロフスキーは負けたのか?
いや、ホドロフスキーは負けたのではなく、彼の執念は今も映画制作に結びついており、
思うように映画監督として活躍できなかったルーカスよりも、幸せなのかもしれない。
ホドロフスキーが自ら、お金の札束を取りだし、カメラに向かって握り締めながら言うシーン
「こんなもの!こんな何にも価値がない紙切れに人は縛られているんだ!」
このシーンがとても印象的でした。
このホドロフスキーのDUNEは、映像制作をする人は、一度は観た方がいい映画です。
STUDIO F+公式HP