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映画「東京画」

「ベルリン天使の詩」のドイツ人監督、ヴィム・ヴェンダースが製作したドキュメンタリー映画「東京画」を観ました。

2012年1月1日という、新春第一本目に観た映画がこの作品でした。

ヴィム・ヴェンダース監督は、日本の小津安二郎監督を敬愛していることでも有名で、まさに、このドキュメンタリー映画小津安二郎監督の軌跡を追った作品に仕上がっていました。

ヴィム・ヴェンダース監督が1983年に東京で撮影したドキュメンタリー映像は、29年後の2012年に見ると、とても新鮮に映ります。

ヴェンダース監督は小津映画に登場した風景、日本人の姿を探していたわけですが、すでに時代は80年代。

日本の文化も多少様変わりし、小津監督の「東京物語」で映し出された50年代の日本の姿は当然ありませんでした。

作品では俳優の笠智衆さんや、小津監督を支え続けた撮影の厚田雄春さんの貴重なインタビュー映像が残されており、小津監督の演出方法、人物像が浮かびあがっていきます。

私が特に感動したのは、撮影の厚田雄春さんが最後に涙を流しながら、声を詰まらせて、小津監督(小津のオヤジと言っていましたが)は「スタッフに本当によくしてくれた。あの映画製作の熱意は他にはないものだった」と語っていたシーンです。

私の知り合いにも、今でも定期的に鎌倉で小津監督を偲ぶ会に参加している人々がいます。

亡くなった今でも慕われるというのは、やはり小津監督の人間性によるところが大きいのかもしれません。

ドイツ人でありながら、小津映画に自分の父、母や家族をみるというヴェンダース監督。

一部の人を除いて、日本人ですら小津監督の映画を忘れかけていた時に、
ドイツからやってきた映画監督から改めて小津映画の素晴らしさを教えてもらった感じがしました。

ヴェンダース監督らの海外の映画監督によって、日本で小津監督の映画を再評価する動きが高まったのは事実だと思います。

小津映画が作られた日本よりも、むしろ海外の方が小津監督作品を高く評価していたというのは、少し悲しい気がします。

この映画で、すでに過去となった80年代の東京の姿を見るにつけ、90年代ですら10年も前の話だと考えると、時の流れの速さをヒシヒシと感じました。