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最後のスターウォーズ

賛否両論、真っ二つの今回のスターウォーズ 最後のジェダイ
STAR WARS Episode VIII THE LAST JEDI)

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個人的に、前作の「フォースの覚醒」から始まる新三部作は
もはや「スターウォーズ」と呼べる映画ではなく、
今回の「最後のジェダイ」は最低の映画でした。

もともと原作者であり、生みの親であるジョージ・ルーカス監督が
手放した時点で、すでに「スターウォーズ」は終わっていたのでしょう。

酷評につぐ酷評だった、ジョージ・ルーカス監督が手がけた
スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃」。

確かに、原作者のルーカスが手がけた「スターウォーズ」ですら、
どうしようもない作品があるわけですが、これはまだOKなんです。
なぜかと言うと、「スターウォーズ」を生み出したルーカスが監督、脚本を
務めているからです。

原作者が生み出したキャラクター、ストーリーを、自由にいじることができるのは
原作者の特権だからです。

しかしー
新三部作を手がけた、JJエイブラムス監督、ライアン・ジョンソン監督が
スターウォーズ」のキャラを変え、物語の核となるものをいじるのは、
改悪だとしか言えないと思うのです。

できることなら、ハン・ソロルーク・スカイウォーカーといった、
ルーカスが生み出したキャラクターを使わずに、全く新しいシリーズとして、
スターウォーズ」を作り出して欲しかったというのが、
1977年からずーっと「スターウォーズ」を観てきたファンとしての本音です。

新三部作の「フォースの覚醒」「最後のジェダイ」が、ルーカス時代からの
ファンから怒りを込めたブーイングをうけ、拒否反応をさせている理由は、
ルーカスの許可なく、ハン・ソロを殺し、ルークを隠居させ、霊的な存在に
してしまったことにあると思います。

ルーカス自らが、ハン・ソロ、ルークを舞台から消し去るのは、
全く問題ないんです。(ファンの心情はさまざまでしょうが)
それは原作者であり、物語を生み出すのはルーカスだからです。

映画「ミザリー」のように、ファンが原作者を拉致して、
自分の思うような物語を書け!と迫るのは、まさにファンの
頭の中のファンタジーでしかありません。

なぜ、このようにも早く旧シリーズのメインキャラを新シリーズで
次々に消していっているのか?
しかも、ほとんどが前エピソードからの繋がりや、キャラクター設定を無視しており、
新しいエピソードのなかで死に追いやっているのはなぜなのか?
(死に急がせているようにしか見えないのです)
2年前に「フォースの覚醒」を観たときは、よくわからなかったのです。

しかし、今回の「最後のジェダイ」を観て確信しました。
それは、エピソード9以降の新三部作を作るためなんです。

「最後のジェダイ」の公開が始まってもいないのに、プロデューサーの
キャサリーン・ケネディが、エピソード9以降も、新たなスターウォーズサーガ
の制作者として、ライアン・ジョンソンを指名したというニュースが流れました。

こんな異例なニュースは聞いたことがありません。
通常は映画が公開され、興行収入をどれだけ稼いだかを確認した上で
次回作を検討するはずです。

しかし、プロデューサーは「最後のジェダイ」のヒットは織り込み済みだと
確信した上で、エピソード10〜12までを作る!と発表したのです。

これはシリーズ化が大好きなディズニーの経営方針に則ったものであり、
スターウォーズ」ビジネスがいかに莫大な利益を生んでいるかを
物語っています。


新しいサーガーを量産するためには、影響力がある元祖スターウォーズ
メインキャラクターを消し去るしかない!そして、早いうちに新しいキャラの
構築をして、ルーカスのスターウォーズとは別の方向に物語を持っていく必要がある!
と、ディズニー、プロデューサー、JJエイブラムスは考えたんですね。

もはや、斬新かつ実験的な要素をふんだんに盛り込み、
いままで誰も観たことがない世界を見せてくれるSF映画ではなく、
ディズニーに買収された「スターウォーズ」は、ただのオモチャやグッズを
売りつける、莫大な制作費とCGが詰め込まれた宣伝映画になりさがってしまったわけです。

おや?日本の超有名ロボットアニメ「ガンダム」シリーズに似てきたな。

「最後のジェダイ」を支持するレビューの中には、オールドファンとの
世代交代とか、中二病の親父世代の終焉と言った、的外れなレビューが
多々見受けられますが、これは大きな間違いです。

ルーカスが手がけてきた「スターウォーズ」は、ただのSF映画ではなかったんです。
革新的な技術に裏打ちされた、神話のような物語が描かれていたんです。


それに比べて「フォースの覚醒」「最後のジェダイ」で描かれる
スターウォーズ」の世界観は、なんとスケールの小さい物語になってしまったことか。
また、JJエイブラムス監督といい、ライアン・ジョンソン監督の演出力のレベルの低さに
あきれ果てました。


この二人の監督共通して「スターウォーズ」を茶化すかのように、冒頭のシーンで
笑えないジョークを入れてくるのは、なぜなんですかね?
シリアスなシーンなはずなのに、全く怖さが伝わってこないうえに、
これから始まるであろう、命を削る戦いがシラケきってしまい、
オープニングシーンから映画の世界に入っていけず、感情移入が拒否反応にしかなりません。

「フォースの覚醒」の冒頭とは、カイロ・レンがポー・ダメロンを捕まえて
尋問をする際に、ダメロンが言う台詞「口がモゴモゴして、よく聞こえない」
というシーン。
レジスタンスのエースパイロット、ポーが意気がっているところを見せたいのでしょうが、
このやりとりのシーンでは、カイロ・レンという謎のキャラクターをぶち壊しているだけでなく、
観客にカイロ・レンを「怖さの象徴」として見せることに失敗しています。


「最後のジェダイ」の冒頭とは、レジスタンスを追いつめたファーストオーダーの
司令官の態度と、単独で登場するポー・ダメロンのシーン。
このシーンも、「帝国の逆襲」にはあった「帝国」の残忍さと恐怖で
反乱軍を追いつめるという、シリアスな部分が完全に欠落してしまっています。
そのため、後半に続くレジスタンスを追いつめるファーストオーダーの緊迫感が
まったくなく、惰性でダラダラしている無能な連中にしか見えない。
(事実、「最後のジェダイ」のレジスタンス、ファーストオーダー連中は、
頭が悪すぎる)


冒頭のオープニングで、観客を映画の世界観に浸らすことに失敗した
最悪の例が「フォースの覚醒」と「最後のジェダイ」だと思います。
すでに、映画の基本中の基本が欠落しているんです。

人気がなくなるまで、フランチャイズ化され続ける「スターウォーズ
今回の「最後のジェダイ」は、タイトルを変えて「最後のスターウォーズ」と
名付けた方が正しいと思います。

まさか!?とは思いますが、日本のアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のように、
死んだはずのキャラを強引に復活させ、ずるずる物語を引っ張るようなことは
実写映画ではできないと信じています。

エピソード9で、オビワンのようにルークが霊体で出てきても、
その映画は「スターウォーズ」ではなく、「エピソード9」という別の何かに
なっているはずだ。


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