(Funny Games)をようやく見ました。
知り合いの自主製作の監督から「ぜひ!観たほうがいい!」と、かなり前から言われていたのですが、
「カンヌ映画祭出品時、その凄惨さからヴィム・ヴェンダース監督や批評家、観客がショックのあまり
席を立ったと言われる。ロンドンではビデオの発禁運動まで起こった。」(ウィキペディアより)
とあるように、この映画を観る前から嫌な予感がしていたので観るのを控えていたのでした。
私は直感で後味の悪い映画だろうなぁーと感じさせる映画は、なるだけ観ないようにしていたのです。
後味の悪い映画は、後にも先にもずーっと印象として残るものなので。
しかし、怖いもの見たさというのか、どれだけ「問題作」なのか?好奇心が先走ってしまう場合も
あるわけで、ついに「ファニーゲーム」を観ることに。
オープニングから何やら怪しい雰囲気が・・・・
そして、このポスターにも出ている若い男二人組(白い手袋をしている)が卵をもらいに
来るあたりから、ああーついに始まったか・・・という
救いのない映画とは、まさにこの映画のことを言うんだろうなぁと思いましたね。
ただ、一方でもしかすると「極端すぎる良心的な映画」なのかもしれないとも思いました。
「監督自身、暴力が不快なものであることを再認識してもらいたかったというだけに、
観た人間は不快と憤慨を覚えずにはいられない内容」(allCinemaより)
映画的な手法としては、暴力シーンをわざと観客に見せない、BGMを使わない、キャラクターが
様々なテクニックが満載でした。
物語を逆回転させて元に戻してしまうという大胆な手法には唖然とさせられました。
このシーンを観た瞬間、「ああーこの監督は観客にアピールするためだけにこの映画を作ったんだな」
と監督の製作意図が見えた気がして、それまで「映画」として観ていたものが壊れ、
この映画はある種の「教育・啓蒙映画」だったのだと気がつきました。
この映画を「暴力映画のコメディー」と評価する人もいますが、私はミヒャエル・ハネケ監督は
かなりの確信犯的にブラックジョークを観客に突きつけるのが好きな監督だと思いました。
おそらく、ミヒャエル・ハネケ監督は極限状態の中におかれた人間を描いて見せるのが好きなのだと
思いますが、演じる役者さんは大変だろうなぁーと感じましたね。
(ゲオルク)の演技は凄まじいものがありました。
あとで気がついたのですが、ウルリッヒ・ミューエはあの「善き人のためのソナタ」の主演を
結婚し、ウルリッヒ・ミューエは2007年に亡くなっていたとは。
ハリウッドでリメイク。
「今やハリウッドは暴力が快楽を求める手っ取り早い方法となりつつあり、ユーモアとして処理され
ている」と語るミヒャエル・ハネケ監督は、暴力シーンを描くことは映画ならではの切り口とする、
あのクエンティン・タランティーノ監督などの作品を真っ向から否定。
「痛い暴力シーン」を描くことで暴力を否定する監督、マーティン・スコセッシ監督や、
言わんばかりに、観客に暴力への嫌悪感を200%植えつけてしまうほど「ファニーゲーム」という
映画にはパワーがあるように感じました。
決して万人向け映画ではないものの、映画の影響力をあらためて考えさせられる映画でした。
ただ、「もう一度観たいか?」と聞かれたとしたら、「いえ、もう結構です」と答えると思います。