映画や絵画、または漫画や写真、小説、文学、音楽にいたるまで、作者が作品を発表してから、長い年月が経っているにも関わらず、永遠不滅の輝きを放っている作品があります。
ある作品は何百年と言う月日を経ているのにも関わらず、2009年の現在に至るまで、多くの人を魅了し、支持され続けています。
一方、すでに忘れ去られた作品も数多くあります。
はたして、この差はどこから生まれるのか?
ある朝ふと、そんな事を考えました。
そこには当然、映像製作をしていく上での自分との葛藤があったからです。
支持される作品とそうでない作品にある違い。
ありきたりな解釈をするならば、作品の持つ価値、普遍性の有無なのかもしれないと考えました。
普遍性とは、人間が誰しも共通に持つ、ある種の価値観とも言えるのではないでしょうか。
簡単に言うと、「愛」とか「慈悲」、または「憎悪」とか「嫉妬」など、人間だったら誰もが感じた事がある、ある種の感情から生まれたもの、つまり「心」から生み出されたものだとも言えるでしょう。
私は大学院修士課程の時に、ドイツの哲学者カントの本を少しだけ読んだ事がありました。
カントいわく、人間にとっての価値とは「真、善、美」であると。
難しい事はすっかり忘れましたが、今思い返してみても、確かにカントが語る三つ価値観は、芸術作品に置き換えてみても当てはまる気がします。
「真、善、美」という三つの価値観のいずれかがある作品は、普遍性を持っているような気がします。
ただ、このカントの価値論に対し、日本の教育者であった牧口常三郎という人物は、「利、善、美」なのであると、独自の価値論を発表しました。
牧口氏の価値論は画期的です。
カントの価値論の中の「真」の部分、つまり「真理」とは、牧口常三郎いわく、普遍的ではなく、つねに変化しうるものだとし、そこに「利」という新しい考えを付け加えたのでした。
「利」とは、自分にも利があり、他人にも利するものという、自他ともに利するものこそ、人間の最高の価値ではないかとしたのです。
なるほどと思いました。
私は映像を作っています。多くの人に見てもらい、かつ長く残る作品をできたら作りたいと思っています。
牧口常三郎の価値論を読んで、あらためて考えさせられるものがありました。